2024年4月14日 朝礼拝『これで3度目である』大賀幸一牧師

イザヤ書 61章1-3節 ヨハネによる福音書 21章1-14節

  ヨハネによる福音書は、イエス様と弟子たちがガリラヤで再会するお話がありません。急遽21章を付け加える必要が生まれました。それは、イエス様と弟子たちが、ガリラヤで再会したことを無視できなくなったのです。イエス様と弟子たちにとって、ガリラヤに行くことはそれだけ大事なことだったのです。ガリラヤは、イエス様と弟子たちが出会った場所、出発点です。再び弟子たちが出発する場所は、ガリラヤでなければならないのです。イエス様の弟子たちは、力を失っています。それでもまた私たちは再び歩き出すことが出来るのです。歩き始める場所は、イエス様と共に歩き始めたガリラヤです。どんなに間違いがあっても、失敗があっても、イエス様は、再び歩き出すことを祝福してくださいます。それがガリラヤなのです。このガリラヤでのイエス様との再会と再出発の出来事は、私たちに何を示してくださるでしょうか。弟子たちは、やっぱりイエス様が一緒にいないと何もできない、ということです。イエス様が一緒にいるなら、魚はたくさん取れる。元気が出る。力があふれて来る。しかし、イエス様が一緒にいないと何もないのです。自分たちの目の前のイエス様が、十字架に死なれたイエス様であることや復活されたイエス様であることがどれだけ分かっていたかは不明です。しかし変わることとの無いイエス様がいらっしゃるのです。イエス様が共にいらっしゃるなら、イエス様の弟子たちには力があふれ、喜びがあふれるのです。イエス様と共にあるならば、どのような時も私たちには神様の愛があり、恵みがあり、祝福があります。私たちがイエス様と共にないのなら、私たちに力は湧いてきません。私たちの新しい出発の時、改めてイエス様と共にあることを大切にしながら歩んで参りましょう。