2024年3月24日 朝礼拝『すぐニワトリが鳴いた』大賀幸一牧師

創世記 22章6-18節 ヨハネによる福音書 18章12-27節

  創世記のイサク献祭。神様は、アブラハムに約束した通りこどもは誕生し、今度は生け贄として捧げよと命じたのです。アブラハムは驚愕しながらも神様の命令に従い、モリヤの山にやって来ました。アブラハムが本当にナイフを息子に振り下ろそうとしたその時に、その手が制止されました。今、分かった、と。あなたが本当に神を畏れる者だということが、今分かった、と示されています。このような不可解な出来事の示す意味は何でしょうか。アブラハムの時代にあっても、神様は愛の神です。アブラハムにイサクを殺させるのが目的ではありません。神様がどんなに愛しても、どんなに選んでも、どんなに助けても、逃げ出して行く人間たちを救うため与えられた道です。アブラハムは人間代表として大変な辛い思いをしなければなりませんでした。神様の御言葉を信じて神様に従う人間を立てるためです。やはり人間たちの救いは、神様を信じて生きて行く道が必要です。神様の御言葉を信じて生きて行くことが必要なのです。神様は、アブラハムを通じて、神様の御言葉を信じて人間が生きて行く道を開こうとしているのです。神様は、今分かったと、人間たちの現在を認めてくださるために、今、分かったと宣言してくださるのです。イエス様は、大祭司カイアファの舅アンナスの尋問に、私は世に向かって公然と話した、と話すべきことはすべて人間世界に対して全部明らかにしたとおしゃっています。イエス様は、わたしたち、人間が聞くべき神様の御言葉をすべて明らかにしています。神様は、私たちを愛しています。私たちを救っています。イエス・キリストによって示されている神様の愛を私たちは信じて、私たちも神様を愛するのです。神様は、私たちのために、あらゆる救いを成し遂げてくださっています。皆様、どうぞこの1週間、受難週を神様の愛を信じ、神様を愛いして生きて行きましょう。