2023年9月17日 朝礼拝『愛はすべてを完全に結ぶ帯』大賀幸一牧師

創世記 37章18-28節 コロサイの信徒への手紙 3章12-17節

ヨセフは、その人生をかけて、神様が共におられることの意味を学びました。神様の愛を知ったからこそ、ヨセフは、復讐ではなく和解を選び取ることが出来ました。私たちの世界を脅かす災害に備えることが出来ました。自分の人生は、この時のためにあったのだと、そのために神様はヨセフと共にあってヨセフを学ばせ、考えさせ、感じさせてくださいました。ヨセフが特別な使命を持っていたことは確かで、だから神様はヨセフにだけ特別に共におられたということはありません。神様は誰に対しても共におられる神様です。神様の愛から人間が遠く離されることはありません。そして、神様が私たちと共におられ、私たちを教え導いていることを示してくださるのは、私たちが神様の御言葉を聴いているからです。今日何が起こるのかも知らない私たち。当然明日を誇ることも出来ない私たちです。しかし、私たちには神様がおられます。私たちを愛し、私たちを学ばせ、導かれる神様がおられます。神様はわたしたちにキリストの平和を与えるために、キリストを遣わし、私たちに平和を与えています。そのために神様は私たちを招かれ、私たちが一つに結び合わせられるようにとしてくださっています。神様に招かれ、愛され、選ばれている私たち。神様が私たちと共におられるのです。私たちに今日を教え、明日へと導いてくださるのは、神様ではありませんか。それでも人間は不安です。今日をも知らない人間だからです。しかしその人間の中に、神様の御言葉が宿るなら、人間たちは、キリストの血と体によって与えられた平和を知るでしょう。すべて神様と共に、イエス様の御名を掲げて歩むようになります。そのようになるために何が必要でしょうか。神様、イエス様は、ただ一度完全な御業をなさってくださいましたが、私たち人間は、ただ繰り返し神様の御言葉を求め、神様を礼拝し、祈り、賛美するのです。私たちはただ繰り返し御言葉を求めて歩んで行くのです。