2023年7月2日 朝礼拝『主の言葉を思い出しました』大賀幸一牧師

ルツ記1:15-18 使徒言行録11:4-18

  神様とペトロの間に天から四隅を吊るされた風呂敷が吊りおろされるという、このようなやり取りが3度も行われたとあり、それは神様の強い御心を示されています。そんな時に、カイサリアのコルネリウスからの使者がペトロのところに到着します。信仰者であるが外国人、ローマ帝国の軍人からの依頼を受けるか受けないか、ペトロはためらったと記されています。ペトロは考え、祈り、ためらいました。しかし道を開いたのは、聖霊の働きでした。ためらわずに一緒に行きなさい、との聖霊が示した言葉は、ペトロに、自分たちは誰の言葉を聴いて誰に従うべきかを思い出させたでしょう。ペトロは、コルネリウスたちに、私たちの救い主イエス様のことを語り伝えました。するとコルネリウスたちは、聖霊を受けたのです。神の霊を受けて、大きな喜びに、コルネリウスもぺトロも包まれました。ペトロはこの出来事をこう締めくくっています。私のようなものが、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。神様がその御心からなさることを、私たちは妨害することができますか。そのようなことを私たちはすべきではありません。そしてペトロの話を聞いた神の教会の人々もようやく理解して、それでは、神様は異邦人、外国人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ、と。これまで忘れられ、見捨てられていたように見える者たちを神様は忘れてはいないのです。誰もが悔い改め、命に至る道を与えてくださっています。もちろん私たちにも神様は、幻を示し、夢の中で語り、聖霊を通して私たちに語りかけ、御言葉を与えています。私たちは、ためらっても、迷っても、分からなくても、神様の御声を聞いて進むべきではないでしょうか。神様は私たちを良き道へと命を得る道へと進めているのです。