2023年3月26日 朝礼拝『葡萄園の主人と農夫』大賀幸一牧師

哀歌1:1-6 ルカによる福音書20:9-19

  農夫たちはブドウ園のために労苦し、もはや自分たちのものと思っていたところが、そうではなく、ブドウ園を作った主人が存在していました。主人との長い期間、関係が絶えてしまった中、突然現れた主人の使者の要望、命令には反発を覚え、従うことを拒否する、としたことも分からないではありません。しかし、農夫たちも頑ななまま、主人の求めることを理解しているとは言えません。その証拠が暴力です。自分たちの主張が理解されない、認められないことへの不満、怒りが暴力として表れています。それは主人の息子の殺害という暴挙として明らかになって行きます。また不幸なのは、ブドウ園の主人と農夫たちの間の関係、つながりが切れてしまっているということです。少しでもつながりが保たれていたのなら、このような結果にはならなかったのでは。しかも長い年月、主人と農夫の間にはつながりが失われていました。さてこのぶどう園は?主人はどうするか?とイエス様は問いかけています。悪逆非道な者たちを捕らえ、処刑するでしょう。ぶどう園はまったく別の人たちに任されることになるでしょう。しかしぶどう園はそうなっていないのです。主人の息子、イエス様が、神様に私たち人間のことを執り成してくださったのです。私たちを赦してくださるようにと。本来は滅びる道しか残されていませんしたが、人間たちは生きることを赦されたのです。神様が農夫たちに求めた収穫は、どんなものだったのでしょう。神様は、莫大な量の収穫を求めて使者を遣わしたでしょうか?神様が求めたのは、ぶどう園の農夫たちの喜びと感謝だけではなかったでしょうか?神様とのつながりを失って、私たちは、私たちの世界は成り立たないのです。神様とのつながり、御言葉を通してのつながりを求め、私たちに与えられた世界、命を進めて行きましょう。