2023年2月12日 朝礼拝『既定の病を患う人』大賀幸一牧師

ヨブ記2:1-10 ルカによる福音書5:12-26

  ヨブのように完全を目指して歩んでいても、一瞬にしてすべてを失ってしまいます。どんなに努力し、積み上げても、一瞬にして失ってしまいます。どうしてこのような不幸、災い、悪があるのでしょうか。絶望し、すべてを投げ出してしまえばよいのでしょうか。ヨブの妻は、神様を呪って死になさい、と悪役を買って出ています。ヨブはその口では神様を呪わなかったのです。ヨブの妻は、ヨブの中で膨らんで破裂するばかりになっている神様への不満、怒り、疑い、全部吐き出してしまいなさいと言っているのです。ヨブはそれでもあきらめはしないのです。この苦しみの意味を求めます。苦しみの極致にあるヨブは、遂に再び神様と出会います。あまりにも大きな神様の御心に触れて、すべてを理解させられます。重い皮膚病の人は、よろしい、と手を差し伸べて、自ら禁忌を退けて、手で触れてくださるイエス様に癒されました。友人たちにイエス様の真ん前に近づくことを許された中風の人は、イエス様にすべてを赦されました。私たちがこんなにも苦しんで来たのは、ここに至るためではないでしょうか。私たちの苦しみは、私たちを一歩進ませているのです。私たちを明日へと進めているのではありませんか。辛くて、苦しいけれども、理由の分からない苦しみだけど、この苦しみの先に私たちを導いているのではありませんか。そして、そこに私たちに手を差し伸べ、私たちの苦しみを癒してくださるキリスト・イエス様との出会いがあります。私たちを癒すだけでなく、すべてを赦してくださるイエス様との出会いがあります。私たちの苦しみの意味の一つは、私たちを明日へと進め、一歩進め、この先へと進めてくださっています。その先に、私たちを癒すイエス様がおられるのです。私たちのすべてを赦してくださる神様がおられるのです。