2022年8月21日 朝礼拝『人々はこどもたちを連れて来た』大賀幸一牧師

イザヤ書54:1-8 マルコによる福音書10:13-16

  大人たちがこどもたちを連れて来たのは、イエス様に触れていただくためです。それは最終的に、イエス様がこどもたちに手を置いて祝福することとなりました。祝福とはたとえば、神様が世界を創造された時に、神様は人間たちを祝福されました。産めよ、増えよ、世界を治めよ、と。人間たちが増え広がり、この世界を正しく豊かに治めることが、神様の祝福によって許可され、認められました。そして神様は人間たちに世界を委ねたのです。祝福は、神様によって与えられた喜びです。神様によって委ねられた希望なのです。私たちが祝福を受けるのは、神様が私たちを深く愛してくださっているからです。神様の創造した世界は、人間たちが神様に祝福されて、喜びと希望をもってそれぞれの道を歩んで行く。そしてさらに神様の愛される人間たちの世界は広がって行くということであったはずです。私たちも主の日に礼拝を献げるのは、神様の祝福を受けるためです。私たちも何度となく神様の祝福を受けて来ました。それは、神様の私たちへの赦しです。それは、神様が私たちを導いていることの証です。それは、神様が私たちと共に歩んでいることを示すためです。もちろん祝福は、信仰をもって受けるものです。霊的なもので、見えるものではありません。しかし、神様の祝福は、実際に私たちの人生の喜びを生み出し、希望をもたらしてくれます。ところが問題が生じています。弟子たちは、イエス様から厳しいお叱りを受けることになります。私たちはこの出来事から、私たちも神の教会も、こどもたちがイエス様のところに、神の国に入るのを妨げる場合があることを示され、戒められているのではないと考えます。すべての人々が、神様に祝福されて、大きな喜びと希望をもって歩み続けるようにと神様は御業を行っています。今日、私たちも神様から大いに祝福を受けましょう。そしてさらに多くの人々が神様の祝福を受けられるよう祈り求めましょう。