2022年7月31日 朝礼拝『なんと信仰のない時代』大賀幸一牧師

サムエル記上17:38-47 マルコによる福音書9:14-29

  現在カルトの問題が盛んに取り上げられています。カルト問題と戦って来たある大谷派のお坊さんの書いたものを読みました。本当の信仰というのは、生きて行く苦しさから逃げ出すものではない。生きる苦しさの中、自分自身で考え、迷い、選んで行く必要を支えるのが本当の信仰である、とおっしゃっています。カルトは、生きて行く苦しさから目をそらさせ、何か別な事柄でいっぱいにして何も見えない状態にしてしまうものです、とも教えています。自分が一生懸命苦しみながら、祈りながら、支えられながら選んだことは、誰のせいでもない、自分の責任で選んだ事柄です。生きて行く苦しさ、生きずらさから目を離さず、祈りつつ、迷いながらも選んで歩んで行くことを進める、それが本当の信仰ではないか訴えています。息子を連れて来た父親も、長い闘いの中で傷つき、もうこれ以上傷つきたくないのです。また期待外れに終わり、何もできないことを見たくないのです。しかしイエス様の言葉は刺さります。できれば、と言うのか。信じる者にはなんでもできる。即座に父親は、信じますと叫んでいます。信仰のない私を助けてください、と。本物の信仰は、現実から逃げ出さずに、真実を見ようとします。それだけでなく、希望を与えてくれます。神様は共にあることを示してくださいます。イエス様は、父親の信仰を認めて、息子を癒してくださったのでしょうか。それとも父親が自分に信仰がないことを認めたから、それ故に息子を癒してくださったのでしょうか。どちらも起こっていたのではないでしょうか。私たちの中にある信じられない思い、迷い、不安をすべてイエス様はご覧になっています。すべてを認めてくださって、その上でイエス様は息子を助けてくださったのです。これからも現実から目をそらしたくなる私たちに、神様を信じることに迷い、私たちには何もできないと思う私たちに、イエス様は決して不在ではないことを教えてくださいます。