2022年6月5日 特別伝道礼拝『むなしさを超えて』 大森照輝牧師

コヘレトの言葉1:2 ルカによる福音書22:31-32

 この2年間、NPO法人抱撲の職員として様々な辛さを抱える人たちと出会いました。抱えておられる課題は千差万別です。しかし、その多くが、私はなんのために生きているのか、私の人生になんの意味があるのか、私の命にどれだけの価値があるのか、そうした苦しみに行き着くことを知りました。コヘレトは、この苦しみを象徴するように「すべては空しい」と言い切ります。この「空しい」と訳される言葉は「無意味」と訳される言葉でもあります。人には、生きる上で空しいとしか言えない現実が、無意味だとしか思えない苦しみがあります。生きることに何も価値を見出せない状況に陥ることが確かにあるということを無視してはいけないと思います。そして、これに打ち勝つには、希望の言葉とそれを携えた人との出会いが必要です。空しく無意味だと絶望する状況から生きる意味を取り戻すためには、外(他者)からの働きかけが必要なのです。

 イエスさまは生きる意味を見出せずに空しく絶望する人、誰もが通り過ぎて目に留めない存在に関わっていかれました。それは、神さまはあなたをちゃんと見ている、人から見捨てられても、神さまはその苦しみや絶望をすべて知っている、そのことを彼らに伝えるためです。その出会いが癒しとなり、生きる意味を回復させ、再び立ち上がる力を与える。絶望した人が立ち上がる、これこそがイエスさまの起こす奇跡です。

 イエスさまは弟子たちに「あなたのために信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい」と語ります。誰かを力づけて励ますことはもちろん大切です。しかし、弟子たちがイエスさまから力づけられたように、自分が誰かから励まされ、力づけられる経験も大切です。自分の存在を深いところで受け止められた経験をしたとき、人は同じように誰かを受け止める人へと変えられます。愛された人が愛する人へ変わる、この希望の連鎖がイエスさまから始まり、2000年を経た今、私たちにも繋がっているのです。イエスさまが弟子たちに語った言葉を、今を生きる私たちに語られた言葉として受け止めてまいりましょう。