2022年5月29日朝礼拝『永遠の命とは知ること』大賀幸一牧師

イザヤ書45:1-7 ヨハネによる福音書17:1-13

  永遠の命を可能にするのは、神様が、イエス様にすべての人を支配する権能を与えたためです。ここを原文で読むと、肉なるものに対する権能と書かれています。すべての肉なるもの、とは人間のことを意味しているのでこのようなに訳されています。人間と言っても、人間は肉体だけではありません。人間には、霊も心もあります。人間はそのままでは肉なる人間のままです。必ず終わりがやって来る人間のままですが、神様は、イエス様を通して、肉なる人間を永遠なるものにしようとされます。心を持つから、あるいは霊を持つ者となるから永遠となるのでしょうか。少なくとも人間は最初から、霊を持つのでも、心を持つのでもないということです。人間は限られた肉なるものでしかなかったのです。肉なる人間が永遠の命を得るには、神様を知ること。イエス様を知ることです。それは、ヨハネ15章にも示された、私たちが神様の中に留まる、ということです。表面的につながるのでなく、私たちの深いところで神様とつながり続けることです。そうした神様、イエス様と私たちとの深い結びつきが、私たちを永遠なるものへと導いてくださるのです。私たちは自分たちが労苦した財産を誰かに託さなければなりません。つまり、私たちは、自分たちの最後を、命を、結局は自分以外の誰かに委ねなければならないのです。問題は誰に委ねるのかということです。もちろん、私たちが神様を知り、神様にすべてを委ねるべきです。神様がどんなに私たちを愛して、私たちために忍耐し、労苦してくださっているかを、私たちが知るならば、神様以外に私たちが委ねる方は無いことを知るでしょう。神様は、私たちを、はかない、限りある肉なるものから、永遠なるものとしてくださるでしょう。私たちはどんなにあがいても、最後にはすべてを誰かに委ねなければならないのですから。私たちは、神様を知り、神様にすべてを委ねて、今日も生きるべきです。