5月1日 朝礼拝『一つの群れ、一人の羊飼い』大賀幸一牧師

エゼキエル書34:7-15 ヨハネによる福音書10:7-18

  私は良い羊飼いである。イエス様は私たちに向ってこうおっしゃられました。理由は、イエス様が命をかけて私たちを守ってくださり、導いてくださるからです。他には命をかけてまで私たちを守ってくださる方はありません。皆逃げ出してしまうからです。イエス様独りを残して逃げ出して行く弟子たちと同じです。しかしイエス様は、私たちのために命をかけて守ってくださいます。イエス様がどんなに強くても、私たちを守ってくださっても、守られている私たちがイエス様を信じなければ、私たちはイエス様だけを十字架にかけて逃げ出すことになるのです。イエス様がどんなに強く、私たちを守ってくださっても、私たち自身がイエス様を信じなければ、町には悪い物が入り込んでくるでしょう。私たちの人生、命の中にいつしか悪い物が入り込んでいるのです。町の門がイエス様によって守られているだけでなく、町そのものがイエス様を受け入れ、共に歩む者でなければ町を守ることは出来ないのです。イエス様がどんなに強く私たちを守ってくださっても、私たち自身がイエス様を受け入れ、信じていなければ、いつしか私たち自身が自分たちで悪い物を運び入れているでしょう。イエス様が、私たちを守るために門となってくださっている内に、私たちは自分たち自身が本当にイエス様を信じて、迎え入れるべきなのです。そして、イエス様は、この囲いに入っていない他の羊があるとおっしゃっています。イエス様は、私たちだけを守っているのではない、ということです。イエス様が守ってくださっている様々な羊たち、町、命、人生があります。それら皆がイエス様に呼び集められて、一つになる時があります。ただ唯一私たちのために命をかけて守ってくださるイエス様に聞き従って生まれる一つの群れです。その時までそれぞれの群れは、イエス様によって守られているのです。イエス様が呼びかける時、その群れは、イエス様の声を聞き分けて、イエス様に従って行くのです。