2022年1月2日 朝礼拝『イエスは12歳になった』大賀幸一牧師

ゼカリヤ書8:1-8 ルカによる福音書2:41-52

  イエス様のご一家も毎年過越祭にエルサレムの神殿に詣でるためにガリラヤからユダヤへと旅をしていました。過越祭は大事な祭りでした。ユダヤの人々をあくまでも解放しようとしなかったエジプト人たちを災いが襲ったのです。この災いをイスラエル、ユダヤの人々は過越しました。神様が命じた通り、小羊を献げものとし、その血を自分たちの家の戸口に塗ったのです。犠牲とされた小羊の命が身代わりとなり、災いは小羊の血が塗られた家を過ぎ去っていったのです。イエス様の一家は毎年慈しみ深い神様の祝福を受けるためにエルサレム神殿まで旅をしたのです。ところがそんなイエス様の一家でさえも、イエス様を見失ってしまうのです。それは、間違った思い込みによる出来事です。イエス様の一家が毎年エルサレム神殿に詣でたのは、共にエルサレムを詣でる仲間があったのです。帰り道、イエス様の一家はイエス様が仲間の中にいないことを知りません。思い込みから、イエス様が一団の中にいないなどと思わず、確認を怠ってしまったのです。イエス様の一家は、イエス様を探す旅を行うこととなります。かつて羊飼いや東方の博士たちは、イエス様を捜すために旅に出ました。今度は自分たちがイエス様を探す旅に出るのです。誰もが自分たちのイエス様を探す旅を必ず経験することになるのです。イエス様の一家は、イエス様を捜し、辿り着くまで3日間もかかりました。ところがイエス様は、私はずっとここにいたのに、なぜ別なところを捜したのでしょうか、とおっしゃっています。それでも最後には辿り着くことが出来るのです。イエス様が待っていてくださったからです。私たちももしイエス様を見失ったのなら、イエス様がおられるところを探しましょう。イエス様は、私は父の家にいる、とおっしゃっています。私たちの旅路には、私たちを導いてくださる方が必要なのです。この旅路を導いてくださり、災いから私たちを遠ざけてくださる天の神様の祝福が必要です。私たちの旅を神様が祝福してくださいますよう。