12月5日 朝礼拝『神の掟、人間の言い伝え』大賀幸一牧師

エレミヤ書36:1-10 マルコによる福音書7:1-13

  今日はマルコ福音書から御言葉を聴きましょう。ファリサイ派ユダヤ人たちが言うのは、汚れた手で食事をするならその食事が汚れたものとなり、それを食べた人の命を汚すことになるということです。それが本当なら大変なことです。しかし、イエス様は、ファリサイ派ユダヤ人たちの教えを全く否定しました。食前に手を洗わなくて汚れた手であったとしても、人間の口から入る食事、食物が人間を汚すことはない、と教えています。逆に人間を汚すものは、人間の心の中から出てくるものである。たとえば、悪意だとか妬みだとかが人間を汚すのです、と教えています。もちろんイエス様が衛生的な点でお話をしているのではありません。汚れとは、水で洗ってもシャワーを浴びてもアルコールで消毒しても奇麗にすることのできないことです。イエス様は、預言者イザヤがおっしゃったことを引用して教えておられます。人間の戒めを神様の教えとして大切にしてはいるが、本当の神様の御言葉を聴こうとはしていない、と。

  私たちは、神の福音を大切なこととして来ました。それは、私たちがこのまま、あるがままに神様に救われることです。それを可能にしてくださるのが、神様の福音です。福音は、人間が救われる道は、神様の愛と恵み以外にないのだと伝えて来ました。私たちのすべきことは、このことを教えてくださった神様を信じるだけなのです。神様が与えてくださる食事は、霊的なものです。汚れた手を洗って食べることが命じられているのではなく、手を洗っていなくても汚れたままでも、神様が与えてくださる霊的な食事を喜んでいただくことが命を保ち、命を守るのです。毎日のご飯を食べるのと同じ、いやそれ以上に神様が与えてくださる食事をいただくことが、命を養い、命を保つのです。神様の備えてくださる食事をいただき、私たちの人生を歩んで行きましょう。