2021年10月31日 朝礼拝『人から出てくるものこそ』大賀幸一牧師

創世記4:1-10 マルコによる福音書7:14-23

  人間の中から出て来るものが人間を汚す出来事として、創世記はカインとアベルのお話を示しています。兄が弟を殺すという無惨な出来事の原因は、神様への献げものというより、神様がアベルには目を留めたということにあります。では神様が悪いということでしょうか。神様は何度も呼びかけ、言葉をかけ、お前はそれを支配しなければならない、とおっしゃっています。神様がカインを見捨てたり、愛さなかったのではありません。神様はカインに語り掛けました。どうして怒るのか、どうして顔を伏せるのか、と。実際、カインは激怒して、顔を伏せました。神様に顔を向けて、神様に聴こうとはしません。神様から離れ、神様に従おうとしない人間の姿がこのように描かれています。聖書には、神様の顔が私たちに向けられることが、どれだけ私たちの幸せであると書かれています。神様に目を留められる、見守られ、見つめられていることが私たち人間の幸福なのです。今神様はカインをしっかりと見つめています。しかしカインは、人間は、神様に顔を向けようとしません。そしてアベルは殺されてしまうのです。私たちは、神様が私たちに顔を向けてくださり、見守ってくださることを求めています。ならば、私たちも神様から顔を背けず、神様に顔を向けること、神様の呼びかける声に耳を傾けることが大切なのです。神様の呼びかける声に、神様の御言葉を聴くのなら、カインは弟を殺すようなことはなかったでしょう。私たちの歩む道、私たちの選ぶべき道は、神様に顔を向けること。神様の呼びかけに応えること。神様の語られる御言葉に耳を傾けることです。それがないのならば、私たちの歩む道に幸福はありません。命もありません。罪が戸口に待ち伏せているのです。神様に向けて顔を上げて、神様の御声を聞いて、生きて行きましょう。