2021年8月8日 朝礼拝『あなたがたを遣わす』大賀幸一牧師

エレミヤ書20:7-13 マタイによる福音書10:16-25

  イエス様は、あなたがたは私の名のためにすべての人に憎まれる、とおっしゃっています。イエス様の名というのは、私たちがお祈りをする時必ず口にするのがイエス様の名前です。それはイエス様が神様と私たち人間とを結び合わせてくださるからです。そんな大事なイエス様の名前、それは誰もが知ることができます。イエス様の名前は誰に対しても隠されていません。しかし人間たちの中には、イエス様の名前のために憎しみを抱く者があるのです。妬みのためです。しかし、イエス様の名前はどの時代でも隠されることなく、誰に対しても示されています。それは、平和をもたらすためです。私たちも毎週のようにイエス様からそれぞれに派遣されている一人一人です。イエス様が遣わされる一人一人に与えたメッセージが、蛇のように賢く、鳩の様に素直にです。聖書協会共同訳は、素直ではなく、無垢でありなさい、としています。無垢とは仏教の言葉で、混じりけのない純粋であることを意味しています。私たち遣わされる者たちは、人間の闇の中に遣わされるのですから知恵を持たねばならないのです。人間に知恵を与えるのは神様です。イエス様は、”話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる父の霊です“とおっしゃっています。預言者エレミヤは同族のユダヤの人々に嫌われるようなことを散々神様に命じられて語り続けて来ました。エレミヤ自身がもう嫌だと思うようなことでした。しかしエレミヤの中にある神様の御言葉が火のように燃え上がると言っています。既に私たちの中にある天の神様の霊は、黙ってはいられないのです。私たちの中にある神様の霊は、私たちに知恵を与えるために語り続け、礼拝と聖書を通して神様の霊は私たちに良き道を語り続けているのです。神様の霊に何か他のものを混ぜてその純粋さを失ってはなりません。ただ私たちに語り掛ける神様の御言葉を聞いて歩むことです。イエス様の名前も変わることなく私たちの世界に輝き、私たちに平和があるように、と導いてくださっています。