2021年4月18日 朝礼拝『しるしを欲しがる時代』大賀幸一牧師

列王記上17:17-24 マタイによる福音書12:38-42
  今日の御言葉のテーマは“しるし”です。ユダヤ人宗教指導者たちは、ナザレのイエスが偽メシアであることを証明するために“しるし”をイエス様に求めました。マルコ福音書8章で、イエス様は”しるし“は与えられない、と断言しているのです。イエス様に求められている”しるし“とは、天からのしるしです。マタイ福音書では、預言者ヨナの”しるし“が与えられているとイエス様は教えておられます。私たち神様を信じる者たちが大切にしていることは、神様の御言葉、神様の御声を聴いて歩んで行くということです。自分たちの考えや思いもたくさんありますが、まず私たちは神様に聴くことを大切にしています。それは自分たちの見たいもの見る、聞きたいものを聞くのではなく、神様が語られることの中に私たちの求める真実があり、私たちが進むべき道が示されているからです。ニネベの町の人々は、ヨナの語る神様の御言葉を聞いて悔い改めたと言われています。悔い改める、という言葉は聖書によく登場します。反省をするという意味にだけ取られてしまいますがそうではありません。罪から離れる、という意味があります。私たちを惑わしているもの、私たちを束縛しているものから離れるということです。自分の力だけでこの束縛から離れることができるでしょうか。マタイ福音書の同じ個所を聖書協会共同訳では、裁きの時には、ニネベの人たちが今の時代の者たちと共に復活し、この時代を罪に定める、と書かれています。ニネベの時代の人々が復活するのです。彼らはこの時代の人々を断罪するのではなく、誰の御声に聴き従うからを教えているのです。もちろん神様も私たちが束縛を離れて、神様の御声を聴くこと、立ち帰ることを喜んで迎えてくださいます。私たちに示されているしるしとは、神様が私たちのために遣わしてくださる人々を通して、神様は私たちの命のために語り聞かせてくださっているということです。神様の御声を聞いて生きるものとなりましょう。