2020年12月13日 朝礼拝『ヨハネの時まで』大賀幸一牧師

士師記13:2-7 マタイによる福音書11:2-19
  洗礼者ヨハネこそが、約束されたエリヤなのだと、イエス様は教えています。預言者エリヤが遣わされるのは、神様と人間とを結びつけるためです。世界が破滅することのないように、人間たちの心を今一度神様に向けるために遣わされるのです。そのヨハネは、キリストがやって来る、と人々に教えたのです。準備をしなさい、と。何をすればよいのですか?余っているなら、余分を分かち合いなさい。隣人の持つものを妬むのではなく、自分に与えられた者で満足しなさい。それだけでいいのですか?人々は逆に不思議だったようです。ところが、人々を導き、キリストを迎えるために先頭を走っていたはずのヨハネが躓いてしまったのです。理由は簡単です。ヨハネが求めていたキリストと、イエス様が全く違っていたからです。イエス様は、貧しく、学歴もなく、大工でした。ヨハネは、ユダヤの祭司の家系、誕生した時から人々の希望を受けて育ち、尊敬を集めて来ました。しかし、そのイエス様のところに、かつての自分の時のように多くの人々が押し寄せ、教えられ、癒され、力を受けているのです。しかし今日の聖書は最初からはっきりとイエス様がキリストだと示しているのです。冒頭2節にはっきりと、キリストのなさったことを聞いた、とあります。聖書の中で、イエス様を、キリストと紹介しているのは結構少ないのです。神様がお遣わしになった預言者エリヤであるヨハネが躓いたとしても、イエス様がキリストであることは最初からはっきりとしています。そして私たちは、キリスト、イエス様に信じて行くべきなのです。私たちが信頼し、信じる方は最初から、イエス様なのです。不安と恐怖の時代にあっても、私たちが信頼するのは神様がお与えになったナザレのイエス、イエス・キリスト様なのです。