2020年9月6日 朝礼拝『すべてを光にさらす』大賀幸一牧師

出エジプト記13:17-22 エフェソの信徒への手紙5:11-20

「実を結ばない暗闇の業に加わらないでむしろ明るみに出しなさい」、エフェソ書は教えます。暗闇の業とは、「人々が密かに行っていること、口にするもの恥ずしいことです」。人間の暗闇の部分と呼んでいいでしょうか。この暗闇は、自分で解消できるものではありません。たとえば、人間の人格を丸い満月のようなものと考えると、誰もがどこかに欠けた部分があります。その欠けた部分は、欠けを埋めよう、補おうとします。人はその欠けを埋めようと、隣人を求めて生きるのです。そんな人間に対してエフェソ書は、それを明るみに出しなさい、と教えるのです。明るみに出せば、全てのものは光にさらされます。光にさらされると全てが光になるのです。この光とは、神様の愛、慈しみ、聖なる神様のそのものでしょう。問題は、私たちの暗闇を明るみに出すということです。明るみに出す、という言葉、実はもっと強い意味があります。白日にさらけ出す、糾弾する、という意味なのです。通常は隠されたものをさらけ出すことは、いやなことです。明るみに出す、とはそんな少々大変な辛い時なのかもしれません。ただし神様は全てを受けとめてくださるのです。神様は私たちを否定したり、非難したり、拒絶したりしません。神様は、私たちの全てを愛し、全てを赦してくださるのです。全てを受け入れてくださるのです。だからこそ私たちは安心して、全てを神様に委ねることができます。そして全てを神様は光にしてくださるのです。今は悪い時代なのです。時をよく用いなさい。エフェソ書はこう私たちに訴えています。貴重な時間を活かしなさい、十分時を活用しなさい、という意味でもあります。よく用いる、という言葉は、本来買い戻すという意味です。時を買い戻すのです。それは失われた時であったり、奪われた時を取り戻す、ということでもあります。私たち自身が見失っていた時を買い戻すことが必要なのです。そのために、神様の御心を知ることです。神様の霊に満たされることです。聖霊の助けを祈り、求めましょう。そして、神様を心から賛美すること、イエス様により神様に感謝することです。そして、全てが光になるためです。