2020年8月9日 朝礼拝『私の記念として』大賀幸一牧師

箴言9:10-11 コリントの信徒への手紙Ⅰ 11:23-29

  今日は第1コリント書から聖餐に関する御言葉をご一緒に聴きましょう。聖餐は、私たちの救い主イエス・キリストから受けたものです。聖餐は、後にキリスト教会によって制度化されて行きます。つまり、主イエス様から受けた部分と教会がその責任において作り上げて来た部分によって私たちの聖餐は成り立ってします。イエス様が与えてくださった部分とは、23~25節に記されています。イエス様はパンを取り、感謝の祈りを献げ、パンを裂き、分け与えられ食べたのです。27節からは教会がその責任において加えた事柄です。ふさわしくないままで主のパンを食べることは良くない。それは、主の体と血に対して罪を犯すことになります、とパウロは教えています。つまりふさわしくないことをすればそれを冒涜することになると訴えているのです。11章17節以下、コリント教会で聖餐が行われたことが記されています。問題が起こっていました。先ず第1に教会の中で争いがあるという問題です。第2にそれでは一緒に集まって聖餐を食べることにならないという問題です。聖餐は食べ物を持ち寄って教会で一緒に共同の食事が行われました。ただし通常の食事とは同じではありません。このままでは人間たちはイエス様から受けた恵みを台無しにしてしまうかもしれない。それで教会は様々な定めを設けて行ったのです。28節、自分をよく確かめてイエス様の裂いてくださったパンを食べなさい、となったのです。どのように自分を確かめるべきでしょう。争いなく、仲直りして、和解して、一緒に主の食卓に着きなさいということです。全てを神様に委ね、イエス様の待つ食卓に着くべきなのです。イエス様は、これはあなたがたのための私の体、とおっしゃっています。食事をした後に、イエス様は杯を持って、私の血による新しい契約である、と。イエス様の血によって、神様と人間との新たな契約が既に始められているのです。私たちがパンを食べ、ぶどう酒を飲む時私たちは、今もイエス様によって食べさせられ、養われ、命を守られていることを知るのです。今日も、イエス様は、私たちを養い、祝福して、私たちを遣わしてくださいます。