2020年7月5日 朝礼拝 『遠く離れている者、近くの者』 大賀牧師

ヨナ書4:10-11、エフェソ2:11-22

1)遠く離れていたが、
 キリストの血によって近い  今日与えられましたエフェソ書2章21節に、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります、とあります。まさにその通り、組み合わされて、色々な力が、色々なものが組み合わされてできるのが教会なのです。もちろん、エフェソ書が教えている聖なる神殿とは、私たち自身、神様を信じる新しい人そのもののことです。私たち自身も様々に組み合わされているのです。わたしたちは、聖なる民、神の家族です。神様の使徒たち、預言者たちを土台と姉、イエス様を要石、中心の柱として建てられた存在なのです。それ以前はどうであったかもエフェソ書は記しています。わたしたちはキリストと関わりのない存在だった。神様との契約と無関係だった。ですから神様が与える希望を持っていなかった。神様を知らずに生きていた、神様がなかったのです。

2)隔ての壁を壊し、律法を廃棄し、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げた 
 そうであった私たちが、13節、以前は遠く離れていたが、今やキリスト・イエスにおいて、キリストに血によって近い者となったのです。イエス様によって私たちは神様に、兄弟姉妹に近い者となりました。それを実現したのは、私たちのキリスト、イエス様です。イエス様の血が、死にかけていた私たちに命を、生けるキリストの命を注いで私たちを生かしておられるのです。そして、14節に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊されました。最近の様々な人種差別、民族差別、自粛警察も同じかもしれません。これらの事柄がキリスト教を土台とした国や地域で未だに克服できていないという事実に驚きます。イエス様の流された血は無駄だったのか。意味が無かったのか、と思うほどです。しかしその思いは間違いです。イエス様は私たちに平和をもたらしました。二つのものを一つにし、敵意を打ち壊したのです。私たちはそのように組み合わされて生まれていることを覚える必要があります。神様もイエス様も、私たちが敵意を越え、差別を越え、人間を奴隷として来た様々な事柄を乗り越えることができるようにしてくださっています。しかしそれを乗り越えようとしないのが私たち、人間なのです。それでも私たちは二つのものを一つにすることで造られています。敵意を越えて私たちは作られているのです。15節、キリストは双方をご自分において一人の新しい人間に造り上げて、平和を実現したのです。イエス様は十字架を通して両者、二つのものを一つの体として神様と和解さてくださいました。私たちはこのようにして、神様に、イエス様に新しい人、神様を信じるものとされていることを忘れてはなりません。