2020年6月28日 朝礼拝 『揺り動かされないもの』大賀幸一牧師

ミカ書4:2-3、ヘブライ12:18-29

1)揺り動かされないもの
 今日は、ヘブライ人への手紙が与えられました。26節に、「私はもう一度地だけでなく天をも揺り動かそう」という、ハガイ書2章6節からの引用があります。 なぜ天地を揺り動かすのか、について27節に、揺り動かされないものが存続するためであると。揺り動かされないものとは、永遠なるもの、変わらないもののことです。揺り動かされないもののために、揺り動かされるものがあるのです。それは、造られたものとして、神様に創造されたものとして取り除かれることが示されるのです。取り除かれるとありますが、変えられるという意味もあります。神様が創造した世界は、取り除かれる、いや、変化して行く世界です。特に神様が創造されたのに、神様から逃げ出してしまった世界ですから、私たちの生きているこの世界は、揺り動かされる世界、変化させられる世界なのです。そして神様は、揺り動かされないものを明らかにしようとされるのです。世界が揺り動かされるのは、かたくなな殻の中に閉じこもっている人間の心に神様の声が届くためでもあるのではないでしょうか。

2)あなたがたが近づいたのは
 ヘブライ書は、29節に、私たちの神は焼き尽くす火です、と示しています。神様は、恐るべき存在であって、近づくことができるような存在ではない。近づく者を焼き尽くしてしまうような恐るべき存在である、ということを意味しています。神様は正しい方なので、人間は神様と共にあることができないのです。ヘブライ書は、旧約聖書のモーセの時代の出来事をいくつも紹介して、いかに神様と人間の間が遠く隔絶した状態なのかを紹介しています。モーセに導かれてシナイ山で神様と契約した時のこと。モーセやアロンはシナイ山に登ることを許可されましたが、他の者は動物であっても許されず、それを破ることは死をもって償わされました。しかし、22節、あなたがたが近づいたのは、とあり、私たちが近づいたこと、到達したことを教えています。どこに到達したかというと、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、神様、聖徒たち、イエス様、イエス様の血などとされています。とてもなかなか近づけないものばかりです。22~23節を聖書協会共同訳で読んでみますと、突然、すなわち教会、という言葉が出てきます。新共同訳にはない言葉です。この教会、エクレシアという言葉です。神様によって召された者たちの集いを意味する言葉です。もちろんこの教会は天にある教会のことなのですが、天国の教会も、神様が呼び集めてくださるのです。ですから、25節、語っている方を拒むことのないように気を付けなさい、と教えています。神様はいつも私たちを招き、私たちに語り、私たちを迎えてくださいます。地上の教会も、天国の教会も同じです。感謝して、畏れ敬いながら、神様に喜ばれるように仕えて行きましょう。仕える、という言葉を神様を礼拝しよう訳している日本語訳聖書もあります。非常に具体的です。神様に仕える、神様を礼拝し、神様に養われ、神様に導かれ行きましょう。