2020年1月19日 朝礼拝 『どうして私を知っている』大賀幸一牧師

サムエル記上3:1-10、ヨハネ1:35-51

1.イエスに従った 
 イエス様がヨルダン川で自ら洗礼を受けられたから3日目、イエス様は再び洗礼者ヨハネの前に姿を現しました。「見よ、神の小羊」と洗礼者ヨハネは、弟子たちにイエス様を紹介したと言います。するとその中の二人は、自らイエス様に従って行ったのです。洗礼者ヨハネの大事な働きがここにあります。人々が自らイエス様に従って行く道を作ることです。二人の内一人はシモンペトロの兄アンデレ、そしてもう一人の名前は記されていませんが、この人がヨハネではないか、と言われています。彼らは元からイエス様の弟子だったのではなく、洗礼者ヨハネの弟子だったのです。

2.何を求めているのか? 
 イエス様は、二人がついてくるのを知って、何を求めている、とおっしゃいました。そこで彼らは、どこにお泊りなのですかと。それは、洗礼者ヨハネが証言する神様が遣わされた方と共にありたいと願ったからです。洗礼者ヨハネは後に殺害され、その使命を終えてしまいますが、その使命は、神の教会が、私たちが受け継いでいます。そしてその使命は、洗礼者ヨハネのように、人々がイエス様を見つけて、イエス様に従って行くことです。イエス様は、二人が自分たちからついて行きましたが、ちゃんと二人を招いてくれています。来なさい、そうしたら分かるだろう、と。やはりイエス様からの召命は誰にも必要なことです。私たち、神様を信じる者たちが大事にしていることは、イエス様を通して神様につながり続けるということです。そのために、私たちは毎週礼拝を守り、祈祷会を守っています。それだけで十分とは言えませんが、毎週礼拝と祈祷会を守ることが、私たちと神様との間をつないでいるのです。私たちの人生には、神様とのつながりが必要です。戦争の噂の絶えない私たちの世界にあって、私たち人間の命を最も大切にしてくださるのは、命の源である神様です。私たちの未来を、平和へと導く神様とのつながりが私たちの人生に必要だからなのです。

3.来て、見なさい 
 さて、イエス様の弟子となったアンデレたちですが、アンデレは自分の兄弟シモンをイエス様に紹介します。またイエス様はアンデレたちと同郷のフィリポをでしたとしています。そのフィリポが、友達であったナタナエルに出会い、私たちはメシア、キリストに出会った、と伝えたのです。しかし、ガリラヤのナザレなら知っているが、あんなところからどんな良いものが出てくるだろう、出てくるはずがないじゃないか、と言っています。ナザレという町は、そんな小さな町だったのです。フィリポは、いいから,来て見なさい、とイエス様と出会わせました。ナタナエルはそこで驚きます。イエス様は、ナタナエルのことを知っておられたのです。どうしてイエス様がナタナエルを知っていたのでしょうか。イエス様が知っているということは、神様が知っているということです。神様は私たちがどういう人間なのかをよく知っています。そして私たちを、ご自分のそばに招いてくださいました。来て見なさい、従いなさい、もっと偉大なことを見る、と。イエス様を通して溢れるほどに神様の愛が世界に私たちに流れるのを見るのです。神様とつながり続けて行きましょう。