2020年1月5日 朝礼拝 『恵みと真理はイエスから』大賀幸一牧師

イザヤ書40:25-31、ヨハネ1:14-18

1)空なる世界 
 久しぶりに故郷に帰って参りました。昨年11月に父親が亡くなり、あれから1年が経ちます。父の写真の前に、“般若心経”が置かれていました。改めて“般若心経”という日本でも大変愛されているお経を読んでみますと、大変学ぶところがあります。非常に簡単に申しますと、私たちの世界は、“空”である、ということです。“空”、実体がないということです。実体がないとは、何もないということもではありません。すべてこの世界は無常なるものであって、この世界に永遠なるもの、不変なるものはない、と教えます。この世界に永遠なるものを求めても意味がないのです。形は変わりますが、何もないではありません。真実なる世界は、この世界では別な所にある、そう“般若心経”は教えるのです。
  イエス様が、私たちに、空の鳥を見よ、野の花を見よ、と教えられる時、この世界ははかないものです。そんな中で、空の鳥、野の花がいかに素晴らしく、美しいかに教えられました。仏教では、この世界に永遠なものはないと教えますが、この世界に絶対なるもの、不変なものを探そうとしているのが、私たち、イエス様を神の子、キリストとして信じる者たちです。

2)私たちの間に宿った 
 ヨハネ福音書に、“言葉は肉となって”とあります。言葉は世界が生まれる前から、神様と共にありました。言葉は神様そのものではありませんが、神様と一緒にあるのです。神様の言葉から世界が誕生しました。私たちの世界は、神様のみ言葉で出来ているし、御言葉があらゆるすべての中に込められているのです。その大切な神様の言葉が、肉となった。まさしく、空ではなく実体となったのです。そして、私たちの間に宿られた。住まわれた、と表現されているのです。宿られた、とは幕屋を意味しています。モーセの時代、荒野を旅する神の民たちが住んだテント、神様が神の民を導くために立てられたテントの事です。ちゃんとした家ではないかもしれませんが、人々が住む場所、神様がおられる場所としての幕屋が、人間たちの間に置かれたのです。こうしてイエス様、神の独り子であり、私たちの救い主であるキリストが、人間たちの間に住むのです。これがクリスマスなのです。無常なこの世界、永遠なものなど何一つなく、すべては変わり、流れ行くこの世界に、あってはならないことが起こったのです。永遠なるものが、不変な存在が、私たちの間に住まわれた、生まれて、人間となったのです。これを実現されたのは、神様なのです。満ち溢れるほどの豊かさから、イエス様は私たちの世界に、恵みを、さらに恵みを、神様の救いを充満させ、溢れさせてくださいました。そこにはどんな目的があることでしょう。それは、神様の恵みと真理をイエス様は示すためでした。イエス様にしかできないことです。神の独り子なるイエス様だからこそできることを、イエス様はその命を献げて成し遂げてくださいました。無常なこの世界に、永遠の愛を、永遠の光を、永遠の命を届けてくださったのです。私たちの世界は、決して意味のない世界ではありません。神様が愛されている大切な世界です。イエス様の命によって守られている素晴らしい世界です。イエス様と共に行きましょう。