9月22日 朝礼拝『十字架を背負って従う』大賀幸一牧師

サムエル記下18:31-19:1、ルカ14:25-35

1)自分の命を憎む 
 イエス様は振り向いて、教えられました。もし私のところに来る人があるなら、自分の命を憎まなければ私の弟子ではあり得ない、と。神様そしてイエス様を愛するよりも、父母妻こども兄弟姉妹、いわゆる家族を愛するなら、イエス様の弟子ではないのです。何よりも神様とイエス様を第1として愛し、信じ、従いなさい、と。少々驚くべきお話ですが、家族や自分を捨てればよいという教えではありません。イエス様は、家族や自分自身や財産を憎むこと、捨てることを、イエス様を信じる人々に求めました。神様とイエス様を第1とすることです。それが本来の私たちの世界であると信じるからです。私たちの世界は、神様を失っています。人間たちが神様から逃げ出し、神様のいない世界を作りだしてしまったからです。それでいて人間たちは神様の助けを求められないと、神様は私たちを見捨てたというのです。本当に神様の助けを得たいのなら、神様を取り戻すべきです。そのために私たちがなすべきことは、神様が私たちのためにお遣わしくださったイエス様を信頼することです。イエス様を信じるチームは、仲間を信頼します。仲間を信頼できないと何も託すことができないからです。信頼できる仲間だから託すことができます。私たちは自分を犠牲にしてでも仲間に託します。必ずこの託したものが届けられるようにと確信して仲間に託しています。仲間を信頼できないチームにはこのようなことは出来ません。信頼できないなら、誰も自分を犠牲にしようなどとは思いません。私たちの京都丸太町教会はどうでしょうか。主イエス様を信じている仲間を信頼して、託すことができているでしょうか。
  イエス様は、人々に、腰を据えてよく考えて見なさい、と教えられます。私たちは、仲間を信頼できるのか、託することが出来るのか、よくよく腰を据えて考えるべきです。しかし、仲間を信頼できるかどうかを決定するのは、計算で分かるのでも、熟考して分かるのでもありません。仲間を信頼できるかどうかは最初から決まっています。何故なら、人間が選んだのではなく、神様が選んでくださった仲間であるからです。神様が選んだ仲間ですから間違いはありません。そして神様が私たちを導くために遣わされたイエス様が、私を信じて私に従いなさい、とおっしゃってくださいます。私たちのために全てを捨ててくださったイエス様がそうおっしゃるのです。ただイエス様を信じる以外にないではありませんか。
  私たちの教会は、創立115周年を迎えたキリスト同胞教会です。同胞教会は、主イエス様にあってわたしたちは同胞、仲間である、として生まれた教会です。イエス様を信じて集う同胞、仲間を信頼して存在している教会です。仲間を信頼して、託すことができる教会です。信頼できないなら、私たちに勝利はあり得ません。イエス様と共にある仲間を信頼して、自分たちを献げて、仲間に託して行きましょう。