2019年5月5日 朝礼拝 『一緒にいた時言っておいた』大賀幸一牧師

イザヤ51:1-6、ルカ24:36-43

1)彼らの真ん中に立ち 
 弟子たちの真ん中に突如出現したイエス様。さらにイエス様は、御自分の手足を見せ、触ってご覧と勧めています。たぶん段々と、弟子たちは本当にイエス様は復活されたのだという事を知り、信じるようになって行くのです。

2)正しく私だ 
 イエス様の復活された姿から、復活について幾つか学ぶことができます。復活されたイエス様は、実体的な体があるということです。触ることのできる、以前と変わらない命の形が確かにあるという事です。イエス様自身はっきりおっしゃっています。正しく私だ、と。十字架にかかる前のイエス様と復活されたイエス様とは間違いなく同じイエス様。しかしそれを証明するのは私たち人間ではありません。神様であり、イエス様ご自身です。死んでしまってもイエス様は何にも変わることはありません。永遠にイエス様です。しかし、先週のエマオへの道で二人の弟子達と同行したイエス様の物語がありましたように、イエス様だと分かった瞬間にイエス様は見えなくなってしまったのです。ほぼ同じ時刻10㎞離れたエルサレムの町にイエス様は現れました。ですからイエス様の復活の体は、場所にも時間にも制限されないのです。それは神様と同じ様に、どんな場所にもどんな時にも私たちと共におられるからです。

3)私たちの復活 
 さて、実は私はまだ復活されたイエス様を見たことがありません。皆さんはいかがでしょうか?それはもしかしたら私の信仰の問題なのかもしれません。これまではイエス様の復活についてお話しましたが、私たちも復活するのです。イエス様の復活と私たちの復活、どうつながっているのでしょうか。私たちがまだ復活されたイエス様を見ていないならば、私たちは復活できないでしょうか。いえ、私たちはイエス様を見ることも触ることも必要はないのです。何故なら、私たちはイエス様の復活を信じた弟子たちから始まる救いの約束を受けているからです。本来神の子であるイエス様が死ぬ必要はありませんでした。イエス様が死なれたのは、御自分の尊い命の代価で私たちすべての人間の命を買い取ってくださったからです。そしてイエス様は復活されました。はっきりと復活の体を示し、復活されたイエス様の命を輝かせてくださいました。イエス様が与えてくださった命の契約、新しい契約を、私たちは信じるだけなのです。イエス様は弟子たちの真ん中に立ち、弟子たちがイエス様の復活を信じる者としてくださいました。個人ではなく、弟子たちの真ん中に。こうしてイエス様の復活を信じる教会が生まれたのです。教会を通して、イエス様の復活を、そして私たちの復活を信じる信仰が、契約が受け継がれて来ました。ただ一つ私たちが復活するために通らなければならない道があります。私たちも、死ななければならないという事です。イエス様が死んでくださり、復活されたように。それは元は私たちの通る道だったのです。しかしイエス様が、私たちの復活、命の道のために、御自分の死を与えられたのです。私たちもイエス様によって復活するために、復活するのは“イエス様によって”なのですから、イエス様がそうなさったように、私たちも死ななければなりません。そして復活するのです。復活の主イエス様に感謝いたしましょう。