2019年4月21日 朝礼拝 『三日目に復活する』大賀幸一牧師

創世記9 8-13 ルカ24 1-12

1)受難週を越えて 
 19日、聖金曜日には、イエス様が取り去られたことを皆さんと記念して、真っ暗闇の中でご一緒に祈りました。用意した没薬が香る中、暗闇中でお祈りをして気づかされることがありました。兄弟姉妹の姿は見えないのですが、確かにそこに兄弟姉妹がいらっしゃるのです。さらに私たちには光が必要だと言う事です。命は光を求めています。命は光の中で成長して行きます。暗闇の中ではありません。やはり、神様の光が必要なのです。暗闇の中に置かれて、私たちの命は、光りを求め、光りの中で生きるものだと覚えさせられました。わたしたちにとって光とは、神様の愛であり、神様の真理であり、神様の御手による助けです。それがなければ、命は育たない、成長しないのです。人間が、その命が求めるべきは、やはり光です。その光は、神様から来る光りです。神様がお遣わしになった光です。

2)あの方はここにはおられない。
 復活なさったのだ  日曜日の朝、女性たちは勇敢にもイエス様の墓に出かけ、墓が空っぽで、イエス様がいないことを知ります。墓の中には二人に輝く衣を着た人たちがいて、イエス様はここにおられない。復活されたのだ、と伝えています。そして、二人の人の伝えた大事なことは、男女の弟子たちに“思い出させる”ということです。イエス様がガリラヤで伝道していた頃から何度も語られて来たことを思い出しなさい、と促しました。つまり、既に弟子たちは何かをイエス様から与えられていたという事なのです。まず人間が死んで復活する。こんな戯言を誰が信じるでしょうか。弟子たちも戯言として信じなかったのです。ですから、現代の私たちが死者の復活を信じられなくてもまともなことです。しかし、私たちは思い出させられるのです。神様が既になさったことを。イエス様はご自分の死と復活をちゃんと教えて行かれました。二人の人に導かれて女性たちはその事を思い出します。確かにイエス様はそうおっしゃっていたと。ただそれだけではまだ復活は信じられていないのです。弟子たちの真ん前にイエス様が現れ、さらにイエス様が弟子たちに復活について教えてくださって、ようやく復活について信じ始めるのが私たち人間です。死者からの復活、それは人間が作り上げた話ではなく、神様から出た事柄です。かつて人間は神様から生まれ、そして神様の愛に背き、死んでしまいました。神様は死んでしまった人間を生かすため働き続けて来たのです。死者からの復活こそ、神様のなさってきた御業なのです。私たちの信仰は、神様から来ることを信じる信仰です。人間からではないのです。神様が死者を復活させ、生かせてくださる、永遠に生きるものとしてくださることを、私たちは信じるのです。神様は私たちの求めに従って、私たちに使者からの復活を信じられるように示してくださいます。私たちも死から復活し、神様と共に永遠に生きるものだからです。