2018年10月21日 朝礼拝 『それは十四万四千人』大賀幸一牧師

イザヤ書25:1‐9、黙示録7:2‐4、9‐12

1)救われる者たちは数えられる 
 ヨハネの黙示録、一人の天使が太陽の出る方角からやって来て、救われている人に神の刻印を押します。神の刻印を押された人々の数は144,000人です。この人々はイスラエルの人々です。つまり救われる人とは、イスラエルの人なのです。ところが現在イスラエルの12部族といってもユダ族とベニヤミン族は残っていますが、残りの10部族は失われてしまいました。神の民の長い歴史の中で、神様への背信の結果です。この数字は意味がないのか、と考えられますが、神様は、神の刻印を押され、救いを、永遠の命を与えられる者たちを、最初の神の民たちの中ら数えます。今は失われ、交じり合い、区別がつかなくなってしまっても、それでも神様は、最初に愛し、選ばれた者たちに、救われた者の席を用意してくださっているのです。

2) 救われる者は数えられない 
 ところがその後に、もう一つ書かれています。あらゆる国、種族、民族の人々が登場します。その人々は誰にも数えられない、とあります。先ほどのお話とは矛盾しますが、救われる者たちは数えられないのです。神様の御業には2つの面があります。救われる者たちは数えられるという面と、救われる者たちは数えられないという面です。10節に、救いは玉座に坐している私たちの神と小羊のものである、と証言されています。私たちの救いは、私たちの愛する神様、小羊なるイエス・キリストのものなのです。わたしたちが作り出すことの出来るものではないのです。この後この白い衣を来た大群衆はいったいどこから来たのか、と問われています。彼らは、多くの苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って清くしたのだ、と13節にはありますから、間違いなくこの人々はイエス様の流された血によって救われた人々なのです。この人々は、神の刻印を押された人々とは別なのです。

3)弱さをどう生きるか 
 当教会で韓日教会女性交流会、水仙花会の集会が行われました。ゴスペルハウス教会の朴シネ先生がお話くださいました。弱さをどう生きるか、という講演でした。朴先生は、シルベスタインの『おおきな木』という絵本を紹介してくださいました。大きなリンゴの木と少年の物語です。少年はりんごの木がとっても大好きで、リンゴの木も少年が大好きです。少年はどんどん成長して行く中で、以前の様にはリンゴの木を訪れないのですが、折々にリンゴの木を訪ね、木は少年の要望に応えてやるのです。ある発達心理学者この物語を日本、韓国、イギリス、スウェーデンの7-17歳の人々に聴かせたところ、日本のこどもたちの大半から、少年が情けない、頼り過ぎだ、木も情けない、という反応ばかりが反って来たというのです。他の国々のこどもたちは、おおきな木の深い愛情や寛容さについて語るのだそうです。つまり日本社会が如何に人に迷惑をかけて生きてはならないかが教えられているということです。朴先生は、弱さは全ての人間にある事柄であると、そして私だけが持つ弱さがあることを教えられました。昨日は、樋口和彦先生召天5年を覚えて、記念会が守られました。先生の説教集『聖なる愚者』を改めて読んでまいりますと、「傷ついた癒し人」という説教の中で、私たちのイエス様は、私たちを救い癒すために、御自分が傷を負われた、という事をお話になっています。癒しを与える方は、傷を負い、正しく弱さを持っているのです。弱さを持たないと見えないものがあるのです。弱さは、わたしたちを癒し、私たちを生かしてくださっているのです。