2018年9月23日 朝礼拝 『主の苦しみと欠けを満たす』大賀幸一牧師

創世記32:23‐33、コロサイ1:21‐29

1)創立114年 
 わたしたちの京都丸太町教会は、1904年9月27日を創立の時としています。1904年、明治37年は、日露戦争が起こった年です。キリスト教会でも、戦勝祈願祈祷がなされ、慰問団が送られています。その逆に内村鑑三たちは、非戦を訴え、日露開戦に否を唱えてもいました。当時の兄弟姉妹たちが何を神様に祈っていたのでしょうか。きっと神様の御業が世界に、日本に行われることを祈っていたでありましょう。

2)キリストの苦しみの欠けを満たす 
 キリストの苦しみの欠けを満たすのは、わたしたちであり、神の教会である、と記されています。コロサイ書の冒頭に、以前は神様から離れ、神様に敵対していたとあります。これが人間の世界のことです。自分が望んでではなくわたしたちは元から神様から離され、疎外されていたのです。そんな人間が神様側に属する者になります。それを行ったのは神の御子、イエス・キリストです。御自分の死によって私たちは神様と和解したのです。そこにはいつも痛みが残されています。大切な方を失って、私たちは生きているからです。この和解を受ける者は、痛みを感じざるを得ないはずです。人間はこの痛みを知らなければ、神様と和解することは出来ません。この痛みは、自分たち自身が神様と和解するための痛みだけではありません。私達を通して神様、イエス様が伝えられる時、私たちは理解されないことや信じてもらないことへの忍耐の痛み、必ずやいつか誰もが神様の恵みを受ける時が来ると信じて耐え忍ぶ痛みを受けるでしょう。イエス様が私たちのために覚えてくださった痛みです。私達は大切な方を失って始めて、如何にわたしたちがその人を必要として来たかを知ります。でもイエス様は、再び私たちの元に戻ってくださいました。死を越えて、私たちを再び呼び集め、私たちを赦し、私たちに神様を信じることを与えてくださったのです。キリストの苦しみの欠けた所とは、私たちが神様の痛みを示すために私達が用いられているということです。教会が、神様から離れたままの人間世界のために苦しむということです。只耐え忍ぶだけではありません。神様を信じて来ました。

3)秘められた計画 
 世の初めから代々に渡って隠されていた神様の計画があるとされています。その計画は既に聖なる者たちに明らかにされています。そして私たちも知っています。その秘められた計画とは、あなた方のうちにおられるキリスト、栄光の希望です。キリストは、天国におられるのではありません。私達と共におられるのです。それが世界の最初からの神様の計画だったのです。イエス様と人間たちが共にある世界、それが神様の計画です。全ての人がキリストに結ばれて完全な者となる。それが神様の計画です。そのために神様はイエス・キリストをわたしたちのところにお遣わしになったのです。イエス様は天に昇られました。しかし、聖霊を遣わして私たち共におられます。神の教会を立て、私たちと共におられます。京都丸太町教会が辿ってきた道にもイエス様は共におられます。わたしたちは、信仰の戦いを続けましょう。私達に与えられたイエス様の苦しみの欠けを満たす歩みを続けて行きましょう。イエス・キリストは、神様は、私たちの内にあります。私達と共にあります。