2018年3月11日 朝礼拝 『今見たことを誰にも話すな』大賀幸一牧師

出エジプト 24章12-18節、マルコ 9章2-10

1)バチカンからの手紙 
 今年3月1日バチカンは、ある重要な書簡を公表しました。“今日の文化的変容のために理解が難しいと思われるキリスト教的救いのいくつかの点を明らかにするための手紙である”とされています。この手紙で取り上げられていることが2点あります。一つは、“ネオ・ペラギウス主義”について、もう一つは“ネオ・グノーシス主義”について、というものです。現代のキリスト教は、これら2つの問題に対して、その問題性を正確に理解し、自分たちの信仰をよくよく理解することが求められているのです。ペラギウスとは、5世紀頃のキリスト教修道士で、異端とされた人物です。有名なアウグスティヌスが同時代です。ペラギウスは、原罪を否定し、人間は自分の意志で罪を避けることが出来る、としたのです。つまり人間は自分の意志で正しく生きられるし、神様やイエス様の助けを必要としない、としたのです。同時代のアウグスティヌスはこの意見に猛反対でした。彼自身が色々な問題を持ち、遍歴があったからでしょうが、アウグスティヌスは、人間は自分の力で自分を救えないということを良く理解していました。誰かの助け、神様の愛がなければ人間は救われないという事をよくよく知っていたのです。ですからペラギウスの主張には断固反対でした。バチカンは現代社会にこのような傾向が見られる、と注意を呼び掛けているのです。そしてもう一つの“ネオ・グノーシス主義”。“グノーシス主義”は古くから存在する思想です。現世、肉は汚れたもので、霊、魂こそが真の命であると考えます。仏教の考え方の中にもあるものです。人間が肉体を持って生まれたことを汚れとして、真の命からすると価値のないものといたします。真に価値あるものは、魂、霊だけだと考えるのです。そこには、社会や交わりや自分自身の弱さを認めることも“しょうがい”があることもないことも汚れだとして、価値のないものと投げ捨てます。もちろん私たちの信仰は今の話しとは全く違います。

2)変貌の山 
 イエス様は弟子たちを連れて山に登り、人間として生まれたイエス様のもう一つの真実を弟子たちに示されました。神の子、キリストとしてのイエス様の真実です。私たちにとって、イエス様のこの二つの真実、どちらもイエス様にとってだけでなく、私たちにとって何よりも大切な真実です。一つは人間として私たちと同じものとなられたイエス様の真実です。もう一つの真実は、そのイエス様が神の独り子であり、私たちの救い主キリストであるということです。イエス様は、ご自分を通して、神様を表わし、人間が神様を信じ、神様と仲直りをして生きることが本来の人間の姿であることを教えてくださいました。断絶している神様と人間の間をつなぎ合わせるためにイエス様が生まれたことも大事なことです。神様は人間に自由を、それぞれの意志を与えてくださり、私たちを大切にしてくださっているからです。しかし私たち人間には神様とイエス様の助けが不可欠です。自分たちだけでは本当の良き道を知ることが出来ないからです。そして神様が私たちに与えられた地上の生涯が終わる時、私たちはイエス様に導かれて、新たなる命へ進みます。私たちをそこへと導いてくださるのはイエス様以外にありません。ですから、私たちは、これからも神様とイエス様に愛され、助けられて、生きて行きます。神様は私たちにイエス様を示されて、これに聴けとおっしゃいました。イエス様の語ってくださる神の福音を聞いて、私たちは生きるものとなります。