2017年12月24日 朝礼拝 『もろびとこぞりて』大賀幸一牧師

イザヤ9:1、5-6、ルカ 2:1-20

1)民全体に与えられる 
 昨日はギルグラこども図書館クリスマスが行われました。沢山のこどもたちとご家族が集い、スタッフが血のにじむような思いで毎年稽古し、公演してくださいます。昨年はおならが止まらない女性の話しでした。今年はくしゃみが止まらないお話で、こどもたちに大うけでした。さて来年は何が止まらないのでしょうか?さてクリスマス、神様の愛は止まることがありません。「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった」、天使はこの様に宣言されました。ベツレヘムという町の郊外、徹夜で羊たちの見張り番をしていた羊飼いたちに突如示された神様のメッセージです。そこには、“民全体に与える大きな喜びを告げる”、と言われています。民全体というのは、ユダヤの人々だけを指しているのではありません。すべての民、全ての人に与えられる大きな喜びのことです。神様が与えてくださったクリスマスは、ある特定の人々だけに与えたことでも、ある特定の宗教を信じる者たちだけに与えたものでもありません。それが、主であるメシア、キリスト、イエス様であると伝えています。神様は全ての人々のために、その命のために、その救いのために、ベツレヘムの羊飼いたちにこのメッセージを託しました。そしてそのメッセージの中に、飼い葉桶に寝ている赤ちゃんを見つけなさい、と示されているのです。何故神様は、全ての人のための神様の大切な御業を羊飼いに託したのでしょうか。何故天の大軍を使って、全世界の人々にその神様の大いなる力を示し、圧倒的な神様の栄光を持って人々をひれ伏させないのでしょう。神様がそうなさらないのは、それでは誰も救えないからです。全ての民、全ての人のために神様が与えた道は、寒さに凍える羊飼いたちに託すことでした。小さな赤ちゃんを見つけることでした。

2)これがあなた方への徴 
 神様は私たちに救い主、キリストを与えられたのです。その誕生を祝うのがクリスマスです。私たちはキリストをどうすべきでしょうか。再び十字架にかけて殺すのが正解ではないことはもちろんです。私たちの救い主なのですから、私たちは信じ、従うことが必要なのです。そのためには神様がお遣わしになった赤ちゃんを見つけ出さなければなりません。私たちのために生まれた赤ちゃんを探し、信じ、従うのです。どうやって探し出すのか、そのために羊飼いたちは天使からメッセージを渡されました。飼い葉桶に寝ている赤ちゃん、これがあなた方への徴である、と。私たちが辿り着ける様にと神様は徴をくださっています。しかしこの徴はイエス様を探し出し、信じるためです。イエス様を殺そうとするヘロデ王には断じて見つけることは出来ない徴です。暴力と傲慢では辿る着くことのできない徴なのです。先駆者によって導かれ、心を平らにし、イエス様を探し求めるものたちは、イエス様に辿り着くでしょう。事実、羊飼いたちは、イエス様を探し当てました。神様が言われた通りであったと記されているように、間違いなく神身様が示されたことは実現しているのです。しかしそれでも神様のなさることは、不思議です。羊飼いから話を聞いた誰もが、不思議、と思わざるを得ませんでした。いつも神様のなさることは不思議です。私たち人間の目には不思議でしかない。人間の思いも理解をはるかに超えているのです。クリスマスは神様の愛の深さと不思議に満ち溢れています。神様の不思議さが私たちを救っているのです。