2017年11月12日 朝礼拝 『星を数えられるなら』大賀幸一牧師

創世記 15:1-18、マルコ 12:18-27

1)星を数えることができるなら 
 昔々、アブラムという人がいました。アブラムさんは妻サライさんと仲間と共に遥か遠いところから今の場所に移住して来ました。それというのも神様がアブラムさんに移住することを勧めたのです。移住は出来たし、ある程度の財産を持つようになりましたが、アブラムさんにはこどもがありませんでした。昔の時代、どんなに豊かであってもそれを受け継ぐ者がいないことは不幸だとされた時代です。アブラムさんは何よりもわが子を求めていました。そんな時に神様があなたは非常にたくさんのものを得るでしょう、とおっしゃったのです。でもアブラムさんには不満がありました。如何に豊かになって行っても、やっぱり自分には受け継ぐ者がない、ということです。アブラムさんがそのことを神様に訴えると、神様はアブラムさんに夜の星を見せて、この星を数えられるなら数えてごらんとおっしゃったのです。そして、あなたの子孫はこんなにも沢山になると神様はおっしゃいました。アブラムさんはこの神様の言葉を聞いて、神様の言う事を信じたと言います。皆さんいかがでしょう。何故そんなことぐらいで信じられるの、と思わなかったでしょうか。その通りです。でも信じる、信頼するというのはこういう事ではないでしょうか。信じる証拠があるから信じるのではないのです。
  先日、わたしは女子高でお話をしました。“キリンは30分、馬は1時間、人間は1年から2年”、という話をしたのです。これはそれぞれが生まれてから自分の足で立ち上がる時間です。動物たちはさっさと自分の足で立ち上がらなければなりません。自分の足で立ち上がらなければ生きていけないからです。お母さんのお乳を飲むことも出来ない、外敵に襲われてしまうかもしれない。自分の命を自分で守らなければならないのです。でも人間は生まれてすぐ立ち上がることはありません。どうしてでしょう。人間は、お母さん、お父さんに、大勢の人たちに守られて生きて行くものだからです。人間が生まれて来る時は誰もが未熟児だそうです。完全な状態では生まれてこないのです。どうしてでしょうか?人間は皆、守られて、愛されて成長する生き物だからです。誰の所に生まれるか分からない赤ちゃんですが、只大人たちを信頼するしかありません。自分では自分を守れないからです。皆さんに、守ってもらわないと未熟児として生まれてきた人間は生きて行けないのです。守ってもらい、愛されて人間は生きて行くのです。赤ちゃんたちは、大人たちが信頼できる証拠を求めて生まれて来るわけにはいきません。大人たちを信じて、小さな命は託されるのです。皆さんを信じて命は託されるのです。夜空の星を見上げて、あなたの子孫は星の数ほどになる、と言われたアブラムさんです。神様の言ったことを信じる証拠は何もありません。証拠があるから信じるのでもありません。ただ神様を信頼しているのです。

2)神様はアブラムと契約された 
 アブラムさんはこの後、神様に献げものをして、神様と契約を結ばれました。神様は必ずアブラムさんを守ると約束されたのです。わたしたちも、同胞会の皆さんのお働きを信じて、皆さんの日々の健康が守られ、お仕事が守られることを祈っています。恩着せがましく言っているのではありません。忘れてくださっても構いません。でもわたしたちは同胞会の皆さんがいつも守られることを神様にお祈りしております。