2017年1月1日 朝礼拝 『わたしが告げるまで留まれ』大賀牧師

エレミヤ31:15-17、マタイ2:13-23
1)和解の使者  
 昨年日本国首相が和解の旅に出られました。もはや遅すぎで時期を逸した、それでも意味がある、色々な意見があるようです。2017年の年間聖句として、神の和解を選びました。神様はイエス様を遣わして私たちと和解されました。その私たちは今神様に遣わされる和解の使者でもあります。わたしたちが用いられて神様の和解が進められ、神様の和解が全てを満たす年となりますよう、神様に祈りながら、神様に導かれて進んで行きましょう。真の和解がなされる希望を持ちましょう。

2)東方の博士たちが去ると 
 ヨセフとマリアとイエス様、3人の旅は、東方の博士たちが国へ帰ると共に始まります。東方の博士たちがイエス様を訪ねたのは重要な意味があります。神の子キリスト、メシアは、神の民のために来られると信じられていましたが、神の子キリストは、異邦人と呼ばれて来たこれまで神様の祝福の外側にあると言われてきた人々と会いました。神様の愛が今まで光が当たらなかった人々をも照らす時が来たのです。しかしまた危険も近づいていました。ヘロデ王がイエス様の命を狙っているのです。いつの時代も神様が与えようとする祝福と愛を邪魔するものがあります。2017年という年がどのような年となるかはまだ何も分かりません。しかしその最初の日が主日、主イエス様の復活を祝う日によって与えられていることは大事なことです。この年が必ず祝福されるでしょう。そして私たちは、ヨセフがマリアとイエス様を守りながら旅をしたように、わたしたちもマリアとイエス様を守りながら旅をするようにと、今日与えられた御言葉が私たちに勧めているのです。私たちにとってのイエス様は、神様の愛、神様の御言葉、私たちの命です。またマリアは人間の中で初めて全く神様の御言葉を信じてイエス様を産んだ女性です。マリアは正に神様への信仰そのものです。それらを今年もわたしたちは又新しく備えられ、スタートして行きます。これまでがどうであったかは関係なく、ゼロからスタートいたします。そしてわたしたちは必ずマリアとイエス様を守ってゴールすることが出来ます。結論や結果が分かっているならばやっても意味がないとおっしゃるかもしれません。しかし私たちには結果が分かっていても、その時その時はまだ分かっていないのです。ヨセフたちは危険が迫っている事を知っていたでしょうか。全く知らなかったのです。神様が教えられたから回避できたのです。何故エジプトに逃げる必要があったのでしょうか。逃げるのに適していただけでなく、かつてユダヤ人の祖先たちがエジプトから導かれたからです。古き大事な記念の場を訪ねることに意味があります。その時代の人々の歩みを受け継ぐためです。イエス様はエジプトで奴隷の様だったユダヤの人々を受け継ぎ、帰って来るのです。しかし再び彼らの前に巨大な権力が立ちふさがります。ヨセフたちにはこのアルケラオがすぐさま権力を失い、代わりにローマ人がやって来る事を知りません。ヨセフたちは再び夢でお告げを聞き、ガリラヤ地方ナザレに移り住みます。それ故彼は「ナゾラ人」と呼ばれる、ナザレ人ではないのです。ナゾラ人、未だにその意味するところは分かっていません。一説にはイエス・キリストを信じる人々がナゾラ人と呼ばれた時代があったそうです。このように神様が絶えず守っておられ、導いておられるのですから、マリアとイエス様は必ず守られます。しかし旅路の最中には何も分からないのです。ただ、神様が主の天使を、夢の中で、告げ知らせてくださる神様の御言葉があるだけです。それがあるから必ずこの度は守られてゴールすることが出来ます。私たちも、マリアとイエス様と共に、新しい旅路に出発いたしましょう。神様がおられるから必ず辿りつけます。神様の示されることを失いませんよう。神様の御言葉と神様が遣わされる方が、私たちを導き守ります。