2016年5月15日 朝礼拝『天からの音が聞こえ響く』大賀幸一牧師

使徒2:1~11、エゼキエル37:1~14  
1)准允式 
 5月4日平安教会で開催された教区定期総会で准允式が行われました。木谷実先生が准允を受けられました。准允とは、日本キリスト教団という教会の伝道者として登録され、礼拝説教を許されるという意味があるそうです。もう一人女性が准允を受けられました。その女性の決意表明に驚かされました。中国からの留学生で、キリスト教を全く知らない方でした。たまたま同志社教会の礼拝に出席する機会があって望月修治牧師の礼拝説教を聞いたのだそうです。そこで何と、たった1回初めてキリスト教会の礼拝に出席し、牧師の礼拝説教を聞いて、彼女は衝撃を受けて、神様を信じたのだそうです。驚きと共に、牧師として嫉妬を覚えました。たった1回説教しただけで神様を信じる、そんな説教を一生に一度なしたいものです。この女性は中国では指導者階級の家に生まれ、中国の指導者階級ですから無神論が当たり前の人々の中に成長して来られました。これからも日本で伝道者として神様の派遣に応えて行きたいと願っていますが、中国政府がそれを許すかどうか不明だそうです。是非日本で伝道することができるように祈って欲しいと訴えておられました。これこそまさに神様の御業、聖霊が降り、力に満たされた瞬間ではないでしょうか。

2)枯れた骨 
 エゼキエル書37章、枯れた骨の話しが示されています。神様から見れば今の人間の姿は、正しく枯れた骨のようなものです。何故なら生きているようで生きておらず、命があるようで命が無い、それが今の人間の姿だとおっしゃっています。預言者エゼキエルに向かって神様は預言せよ、と命じています。どこの預言者が枯れた骨に向かって預言するものがあるでしょうか。しかしこれが神様に選ばれた者たち、神様に遣わされる者たちに神様が命じていることです。枯れた骨に向かって預言せよ、神様の御言葉を語れと。意味のないように思えて、無駄のように思える枯れた骨に預言することですが、神様が求めています。預言者が預言し神の御言葉を語ると、枯れた骨はその預言と共に神の霊を受けて生きるものとなった、命をもつ者となったのです。

3)激しい風の音が聞こえ家に響く 
 先週の特別伝道礼拝で、神様の働かれる次元と人間が責任を与えられている次元とを混同しないで、自分たちの責任を果たすことが求められました。確かに神様にしかできない、神様だからこそできる神様の働かれる次元があるようです。今日、聖霊降臨日、突如天から激しい風が吹いて来ました。その激しい風はそこに集まっていた全ての人を満たして行きます。全体でありながら、一人一人を満たして行きます。聖霊に満たされ動かされた人々は、あらゆる言葉を用いて神様の偉大な業を語りました。あらゆる人々が聖霊を受けるということです。聖霊を受けて神様の民となるということです。聖霊を受けて枯れた骨が命を得るということです。人々はこの日五旬祭のために集まって準備をしていました。誰もが準備をいたします。自分たちの人生のために、将来のために、生活のために、老後のために。それならばなぜ人は命のために準備をしないのでしょうか。必ず誰にもやって来る今の命の終わりのために準備をするのが当然ではありませんか。これから先何があるか分からないから私たちは自分たちに与えられた責任によって準備をするのです。私たちは命のために準備をして来ました。誰もがそうであるべきです。枯れた骨さえも命を得るのですから。聖霊に導かれて、主の平和と命の道を進みましょう。神様は必ず神様の業をわたしたちになさってくださいます。