2016年2月28日朝礼拝『命は霊、肉は役に立たない?』

ヨシュア24:14-24、ヨハネ6:60-71 大賀牧師

1)老いと信仰
 本日は教会研修会。テーマは“老いと信仰”です。人間がこの地上に命を賜り、成長して行くと共に人間は老いて行く、実に自然なことです。ところが老いて行く、とは簡単なことがらではありません。もちろん結論は見えています。ヨハネ福音書でイエス様がおっしゃったように「命を与えるのは霊である。肉は役に立たない。」これが結論です。人が老いて行く中で、力となり、支えとなるのは何でしょうか。例えば、医療、介護、それを支える健康保険制度や年金制度、そしてやはり具体的な人間の力、地域や医療介護スタッフ、そしてやはり家族。どれもが大事なものです。これらに支えられて私たちの老いがあり得ます。但しどうしても限界があります。肉なる人間から離れる時、どれもまた支えとも力ともなり得ません。そのような中でこの地上に生きる人間の時代から肉体を離れて生きる人間に至るまで私たちと共にあるのは神様だけです。

2)実にひどい話だ
 イエス様はある時人々に「わたしの肉を食べ、私の血を飲まなければあなた方に命はない」と断言されたのです。これを聞いた多くの人々は、イエス様に躓きました。もちろん実際のイエス様の肉と血でないことは皆さんご承知の通りです。今日の箇所でも63節に、私があなた方に話した言葉は霊であり、命である、と教えておられます。そのようにイエス様が私たちに食べさせようとしてるのは、イエス様から語られる神様の御言葉であり、神様の愛なのです。その神様の愛と御言葉が、あなた方の命、体とならなければならないと教えておられるのです。ところがこれまでイエス様を信じ、希望を持って来た大勢の人がここで倒れます。イエス様が信じられなくなり、不安になります。私たちが老いて行く過程の中にも同じことがあります。これまでには何でもなかった事柄が、突如として不安となる、心配でたまらなくなる、という事が起こって参ります。これまで一生懸命人生生計をされてきた事柄がまるで無駄であったかのような出来事に突き当たってしまうのです。私たちにも様々な心当たりはないでしょうか。これまでには想像しなかった不安が起こって来るそれが人間の老いという問題です。それもこれも人間の肉体の老化は20歳過ぎからすでに始まっていると言われています。ところが心の老化はそうではない。私たちの心は肉体よりももっと長く成長します。このギャップ、心では出来るはずだと思っていても、体がついて行かないというギャップが私たちの老いと言う不安を駆り立てるのです。そんな不安な老いの中で、私たちを支えてくれるのが、人間です。家族です。仲間です。言葉です。愛です。そして祈りではないでしょうか。老いて行く私たちの進む歯車を逆に戻すことは出来ないのです。だから互いに支え合い、慰め、力づけ、祈り合う事の必要があるのではないですか。

3)肉は役に立たない?
 イエス様は私たちに、命を与えるのは霊である。肉は役に立たない。と教えられたのですが。そのイエス様が人間となられたのは何故でしょうか。肉なる人間となられたのは何の意味もないことでしょうか。あえて神の子イエス様が人間となり、肉なる人間となったからには、私たちにとってもこの肉なる人間としての限られた時間は意味あることだと信じています。それならば、私たちが老いて行くこの人生そのものも大事で意味のあるものに間違いないのです。苦悩多く、病いを恐れ、蝕まれ、不自由になって行く、それでも神様が与えてくださった意味のある人生なのです。
4)あなたは永遠の命の言葉を  わたしたちの命は永遠に、肉なる人間の中にある訳ではありません。肉なる人間の時代は、限られた時間に過ぎません。イエス様も命を与えるのは霊である、とおっしゃっているように、私たちの命の根本、源は神様の与える霊にこそあります。霊があってこその私たちの肉体です。霊を失った肉体に意味はありません。イエス様が与え養ってくださる神様の御言葉によって私たちの命は生かされて行くものです。人間の肉体は20歳過ぎから老化し、心ももっと長いですが次第に老化する。ただし魂は、霊は老化しません。神様が私たちに与えられた霊は、永遠に成長し続けるのです。私たちの命の最初から最後までそして永遠に至るまで私たちと一緒におられるのは神様だけです。