2016年1月3日 朝礼拝 『恵みと真理が現れた』 大賀牧師

ヨハネ1:14~18 

1)教会に未来がありますか
 昨年末、神学部の学生さんたちが来られてインタビューを受けました。色々質問されたのですが、こんな質問がありました。「教会に未来がありますか?」ど うでしょう皆さん、教会に未来がありますか。たとえば、昨年も大切な愛する兄弟姉妹たちを多く天国へお送りしました。どの教会もそうですが高齢化は益々進 みます。若い世代自体が減少し、これからの教会の担い手が多いとは言えない。建物としての教会も故障続きで、いたるところ修理をしなければなりません。又 この世界全体がテロの恐怖に怯え、平和が危ぶまれています。どこも問題、課題だらけです。しかしそのようなことは今初めて現れた事柄ではありません。これ までも私たちは同様の危機を乗り越えて参りました。

2)言葉は肉となって、私たちの間に宿られた
 教会の未来を決定するのは、私たちではありません。教会に未来を与えるのは神様です。教会をこの世界に与えられたのは神様なのです。人間が勝手に作った のではありません。もしも教会に未来がないとするなら、それは教会が神様に背いたからです。私たち人間の世界は、これまでも神様の愛に背き続けて来まし た。本来ならばいつ人間世界が滅亡してもおかしくはありません。それでも人間世界が滅亡しなかったのは何故でしょう。それは神様の愛の故です。「言葉は肉 となって、私たちの間に宿られた。」この人間世界に未来を与えたのは神様の愛です。愛する我が子をさえも、私たち人間のために遣わし、私たちを愛してくだ さった神様の愛の故です。このことが無ければ人間世界に未来があったでしょうか。しかし、今はこの人間世界に、神の愛する子は産まれ、神の愛の御言葉は、 この人間の世界に宿っているのです。

3)恵みと真理
 神学生の皆さんの質問の中に、「牧師の喜びとはなんでか」、とありました。牧師の喜びとは、教会の兄弟姉妹たちが喜んでくださっていることです。神様を 信じる喜び、兄弟姉妹と共に歩んでいる喜びに満たされ溢れることです。人間誰もがそうではないでしょうか。私たちが生きているのは、一緒に生きている人々 の喜びがあるからです。自分一人だけの為ではない。わたしたちそれぞれが一緒に生きている人たちに用いられているからです。愛する者たちの喜びが私たちの 栄養、力なのです。神様がそうです。私たちの喜びのためにイエス様をお遣わしになりました。イエス様を通して私たちは恵みの上に恵みをいただきました。わ たしたちが神様を信じるようになったのは、自分たちが始めたことではない。神様が始めてくださったことです。ですから私たちの信仰には未来があります。私 たちの命も神様に与えられた命ではありませんか。神様から与えられ、始まった命ならば、そこに未来があるのです。もし未来がないというなら、それは私たち が神様の愛に背いているからです。ならば神様の愛に立ち帰りましょう。又神様に愛されて初めて行きましょう。私たちはいつも神様に招かれて、ここに来てい るからです。神様に愛され、祝福され、神様の御言葉に慰めら、力づけられ、養われて、又神様に遣わされて行きましょう。そこに私たちの未来があります。